<『都市問題』93:3(2002), pp.17-36 収録原稿>

都市再生と都市計画

東京大学工学部都市工学科 教授 大方潤一郎

 

1.はじめに

 編集部から与えられたテーマは、都市計画の立場から都心のリノベーションの課題を展望し、また、民間企業による開発の支援を中心とした「都市再生」政策を評価すること、であった。これらの問題について体系的に論じるには与えられた紙数がいかにも限られている。したがって、本稿では、こうした問題について、いくつかの断片的なコメントを記すことで、責を果たすこととしたい。

 

2.都市計画の立場とは

2.1 都市像・市街地像の明確化とその実現

 都市計画とは、どのような都市や市街地を市民・企業・公共の協働を通じて作りたいのか、という集団的意志の表明であり、その意志を実現する諸手段の体系である。したがって都市計画の制度的枠組みとしては、集団的意志を形成・確定・表明する計画策定過程の手続きと、意志を実現するための、公共事業を推進する仕組み、民間開発・建築行為を規制・誘導する仕組み、が基本構成要素となる。

 いいかえると、どのような形態の都市空間を実現したいのか、ということを地域ごとに、都市ごとに、さらには都市圏ごとに、明確にした上で、その空間形成を的確に実現しうる開発・建築のルールの体系を組み立てる、というのが本来である。どのような都市空間を実現したいのか、という議論を抜きにして、ともかく開発や建築の量を拡大したいといって、開発や建築のルールのみを議論することは、対症療法的景気対策としてはありうるのかもしれないが、都市計画や都市づくりの観点からすればナンセンスである。目標とする都市像・市街地像を実現する上で規制の方式や内容が不適切である場合、あるいは、目標とする都市像・市街地像が変わり、それに応じた規制体系を組み直す必要がある場合には、規制の組み直しを議論する必要があるが、いずれにせよ、まずは都市像・市街地像の議論から始めるべき事柄である。

 たとえば、建築の自由度を高める規制体系を求める声が(一部、開発業界等から)ある。自分の土地には大きくて儲かる建物を建てたいし、まわりの土地にむやみに大きな建物が建っては迷惑だ、というのが土地利用者の基本的な欲求である。そうした集団的相互関係の中で、およそ当該地域はどのような市街地とすべきかについて、都市全体および当該地域の要求に応じた集団的意志が定まり、それにしたがって、当該地域において、お互い許容すべき建物の大きさや用途その他土地利用のあり方がルールとして定まっているわけである。

 現行の道路斜線制限の下では、狭い道路に面した敷地で高さの高い建物が建てにくいこと、許容されている容積率いっぱい利用しようとすれば、頂部が斜めに切られた建築となること、などについて不満があることは理解できるが、前面道路が狭い奥行きの浅い敷地であるにもかかわらず無理に容積率制限の限度一杯の建物を建てようとするから無理が生ずるのであって、狭い道路沿いの敷地であれば、対面の敷地や建築物に迷惑をかけないような形態とする必要はある。またこうした制限は、なにも日本特有のことではなく、アメリカやヨーロッパの都市では一般に採用されている制限の方式である(道路が狭いのに高い建物を建てようとするところが日本特有の事情であるが)。もちろん、斜線によらず、建物の頂部を細くして直立させ、それなりの採光性を確保したり、地域の実状に従い、地域の住民や地権者の合意を踏まえて斜線の傾きを緩めたりすることはあってもよい。あってもよいが、これらは、従来の市街地の形態についての慣習的合意を変更し、細く高い櫛の歯状の市街地にする、あるいは、通常より暗い陰鬱な環境でも我慢する、といった市街地形態に関する新たな合意を形成した上で行われるべき規制の変更であって、中央政府の審議会など、地域から遙かに離れた場所で、小人数の議論によって、一律に決めるような事柄ではない。

 

2.2 都市計画による土地利用規制・建築規制の役割

 用途地域をはじめとする地域地区の指定に応じた、用途・建蔽率・容積率・建物高さ(斜線)などの制限は、都市市街地を維持・形成する上で大きく分けて2つの役割をもつ。ひとつは、隣や周辺の土地利用に対する「迷惑」の限度を定めたルールとしての役割、もうひとつは都市の土地利用計画達成の誘導手段としての役割である。

 前者には周囲の敷地や道路公園等公共空間の日照・採光・通風を妨げない、騒音・振動・悪臭などで迷惑をかけない、圧迫感を与えないといった相隣関係上の迷惑と、敷地が接する通りや近傍の道路、最寄り駅などの公共空間に混雑を生じさせないといった近隣レベルの迷惑、街並みや賑わいなど集積の利益が発揮されている地区においては機能面・景観面で集積の利益を著しく損なわない、といったことも含まれる。

 後者には、ゆったりした戸建住宅地や、にぎわいのある商業地、機能的なオフィス街、インフラの整った工業地など、集積することで集積の利益を生むような用途・形態の土地利用を、都市全体の交通パターンや、公共施設整備状況(道路の幅員や線形、街区の寸法、敷地の規模形状なども含む)に応じ、適切な場所に集積させること、道路・鉄道・上下水など都市全体のネットワークによって機能する基幹的公共施設への負荷を調整することも含まれる。

 こうした目的を達成するためには、規制的手段によらず、迷惑の程度や公共施設への負荷(つまり外部不経済)に応じた課徴金を課すことによることも可能であり、その方が市場メカニズムを活用することができ、誤りやすい人間が考え出した計画や規制によるよりも、経済学的意味で効率的である、とする主張がある。

 しかしながら、ある土地利用によって生ずる迷惑や集積の利益の阻害の種類は多種多様に渡り、主要なものに限るとしても、これを定量的に測定すること自体が現実には困難であるし、かつ周囲の住民や、都市全体が容認できる範囲に逸脱が納まるような課徴金の額を算出することも困難である。

 たとえば、交通混雑という限定的な側面について、発生交通量に応じた課徴金システムや、交通発生権取引のような仕組みを導入し、業務機能等の立地誘導および交通施設整備財源捻出の補完的仕組みとすることはありうると思われるが、このような仕組みが整ったからといって、土地利用にともなう他の側面についてのコントロールを維持する必要は残るので、容積率をはじめとする建築形態規制を撤廃して良いということにはならない。あらゆる側面について経済的コントロールを導入することは、諸資源の制約を無視した純粋理論上の議論としては可能かもしれないが、これを現実に機能する社会的システムとして構築し稼働させることは当面不可能である。

 土地利用や建築にともなう迷惑には、日照・採光・通風など建築物等の存在自体による迷惑のように静的なものもある一方、騒音や混雑など日々・時々刻々の活動内容によって大きく変動する動的な迷惑もある。前者については(建蔽率・容積率・斜線といった現行の規制方式が最善かどうかは別として)なんらかの建築形態規制によって制限することが合理的である。後者については迷惑の量を常時直接測定することは困難であるし、まして迷惑がある限度を越えた時点で活動を直ちに差し止めるような仕組みを広く一般に導入することは困難であるから(大規模工場の廃水などについては常時モニタリング、操業停止といった仕組みは現実にあるが)、建築物の用途・規模を活動量と迷惑が概ね限度内に納まると想定される範囲に制限することは現実的な方法である。

 周囲に及ぼしてよい迷惑、公共施設への負荷、集積の利益の阻害の程度等について、各々の地域の性格に応じて、一定の制限が必要であるという前提をおくとすれば、ともあれ、なんらかのルールを定める必要があり、とすれば現状では、精密性に欠けても、わかりやすくまもりやすい、建築の用途・規模・形態による制限を採用することが現実的である。

 もちろん、ある建築物を建てた時の迷惑の程度は周囲の敷地の形状や建物の配置・形態によって大きく異なる。たとえば隣の建物が敷地境界側について窓の無い建物であれば、そちら側に対して日照・採光を妨げても大きな迷惑とはならないであろう。隣の建物の方でも、同様、多少隣に迷惑をかけても、高さの高い建物を建てたいかもしれない。

 一般に、周囲の敷地にどのような建物が建っているかは(特に用途規制も緩く、敷地の分割・合併が自由で、戸建・アパートといった建築形式の規制もない日本では)様々であるが、一意に建築形態規制を定める必要から、周囲には標準的な敷地・建物が建っているという想定で規制値が定められている。

 したがって、実際の市街地において、一定のひろがりのある街区や地区内の敷地形状や建物の形態が、標準的なものと大きく異なっている場合、地区内の地権者等の間で合意が形成されれば、地区周囲への迷惑が限度内であり、都市全体の土地利用計画の実現を妨げない範囲であれば、地区独自の建築形態規制を採用するといったことがあってしかるべきである。つまり、建築の用途・規模・形態についての何らかの制限は必要であるが、どのような制限とするかについては、用途地域に応じて一律的である必要はない。地区計画や、その他の枠組みの中で、規制内容の多様化が可能となるような制度改善は必要であろう。

 

2.3 「容積率緩和」の「要求」について

2.3.1 容積率規制撤廃論について

 諸先進国はどの国も都市計画制度が整っており、土地利用や建築は厳しく規制されている。もちろん容積率も一般に厳しく規制されている。容積率規制を始めとする建築形態規制を撤廃して税制や課徴金によって置き換えようといった議論が、一部の論者から主張されているのは管見するところ日本特有の事情のようであって、海外ではこうした議論は少なくとも都市計画の分野では話題にすらなっておらず、まして容積率規制を撤廃してしまった国は存在しない。

 開発権が国有化され、すべての開発が行政裁量的許可制の下にあるイギリスでは、ゾーニング(地域地区)規制として容積率の数値など建築形態規制が事前明示されてはいないが、個別の開発許可の際、当然容積率もチェックされ、規制されることになる。

 もちろん日本の容積率規制は建物の用途の違いを考慮に入れない単純なものであり、用途別容積率制の導入を検討する必要はあろうし、また現実の地域地区として指定されている容積率の数値は柔軟に見直されてしかるべきである。全国一律の制度枠組みとなっており、都市、自治体ごとに実態に応じた容積率指定数値のきざみや、用途別容積率制をはじめとする独自の規制内容を採用できるよう、都市計画の制度体系を分権化する必要もある。都市計画制度は仕組みを分権化する中で、多様化されるべきではあるが、だからといって容積率規制自体を撤廃してしまう理由はない。

 絶対高さ規制(あるいは階数規制)と建蔽率規制(あるいは壁面の位置の指定)とで、自ずと建物の大きさは決まるので、容積率規制をやめて、絶対高さ制限と建蔽率制限に置き換えるべきだとの主張もあるが、1968年の(新)都市計画法によって全面的に容積率制が導入されるまでは、まさに絶対高さ制限と建蔽率制限によって建物の大きさが制限されていたわけであり、これでは絶対高さ制限が低く(住居系で20m、その他で30m)、超高層タワーが建てられないなど建築形態の自由度が低すぎる、との社会的要求に従って、絶対高さ制限を撤廃し、容積率制に全面移行した経緯がある。

 建蔽率と絶対高さ制限だけで建物の大きさ(土地利用密度)を制限する場合、建蔽率規制がたとえば80%とすれば、絶対高さ制限30mでも10階建てが建ち、容積率としては800%の建物が建つことになることからも分かるように、絶対高さ制限は、実態として建っている建物の高さよりも相当低く設定されることになる。建蔽率の低い建物(つまり細い建物)の場合は高い建物が建てられるように、ということで建蔽率に応じた絶対高さ制限を導入することも考えられるが、これはつまり容積率規制ということになる。

 積極的に建物の高さを揃えた街並みを形成したい、といった地区では、地区計画等によって絶対高さ制限を導入すれば良いわけであるが、その場合も、絶対高さと建蔽率で定まる最大の容積率を(多少の余裕を持たせてもよいが)併せて定めておくことは、特段何の障碍にもならないし、敷地の条件などについて特殊事情がある場合など高さ制限について特例的扱いをする場合の目安や安全装置ともなる。つまり容積率の数値を適切に指定すればよいのであって、容積率規制自体を撤廃する理由は何もない。

 もちろん、現状の容積率規制の数値が厳しい(低い)ので、緩めて欲しいという希望が、個別地権者やデベロッパー等の間にあることは理解できる。これは、地域地区指定見直しの話であって、都道府県なり市区町村なりの地域地区指定見直しの過程の中で、精査し、必要に応じて指定数値を見直せばよい話である。ただし、日本の都市計画制度では、個人や企業が、地域地区の見直しを提案する仕組みが公式には用意されておらず、一般的な陳情などの手段によらなければ地域地区の見直し要望を計画権者に伝える方法が無いので、この点は改正されてしかるべきである。

 

2.3.2 東京都心部の指定容積率の引き上げについて

 公共施設の容量(特に自動車交通に関する道路容量)と容積率規制との関係についていえば、指定容積率を全て使い切った状態が、現在の公共施設容量とバランスしている、という関係では、もともとない。

 指定容積率の枠の中で、徐々に建物が建てられたり、建て替えられたりして、建物の床面積が増え、人々の活動量が増えていく。その動的な活動量の現状と、徐々に整備が進み容量が増えていく公共施設容量とのバランスが破綻しないことが重要なのである。東京都心部(ここでは狭義の都心ではなく、環6・隅田川内全体ととらえる)の活動総量は現状で、ぎりぎり公共施設容量が追いついているかいないかという状況であり、鉄道のピーク混雑率、環6や山手線を越える部分、首都高都心環状線の渋滞状況などを見れば、基準の設定の仕方によっては、容量が足らず破綻しているともいえる状況である。

 近年、従業者一人あたりのオフィス床面積は増加し、したがって単位床面積あたりの活動量は低下しているとはいえ、オフィス床面積の総量は増加する一方である。バブル崩壊後、都心部の就業者数、昼間人口は横這いないし微減傾向にあり、都内の交通量自体も「走行台キロ」の量で見ると近年微減の傾向にあるが、交通の集中パターンの変化のためか渋滞距離は年々増加の一途をたどっている。鉄道の平均混雑率も輸送力の増加と輸送量の低下とにより、徐々に改善されつつはあるが、なお180%を超えており、新聞を読めるような状態にはほど遠い。混雑率上位3路線は1998年のデータでは230%を超えている(東京都「東京都市白書2000」2000, p.145)。つまり公共施設容量に余裕が生じたとはいえない状況にある。

 このような状況の中で、たとえば局所的に丸の内地区の指定容積率を現行の1000%からニューヨークの都心部並の1500%に引き上げたからといって、直ちに活動量と公共施設容量のバランスが大きく変わるわけではない。しかし、仮に丸の内地区の指定容積率を1500%に引き上げれば、隣接する大手町地区や八重洲側・日本橋京橋地区、その他周辺の商業地域の指定容積率も、これに準じて引き上げることになろう。新宿その他の副都心や、幹線道路沿道の路線式商業地域の指定容積率も引き上げざるをえないであろう。丸の内地区だけを特別扱いすることは、よほどの戦略的意志がなければ困難だからである。

 現行の指定容積率の枠の中でも、近い将来、相当量のオフィス床開発が想定されている現状で、今以上に業務床総量増加のペースを上げることになる広汎な指定容積率引き上げは、公共施設(特に道路)容量の格段の向上を待たずに行えば、東京の生活の質と、活動効率の著しい低下を招くおそれがある。

 ただし、建築基準法(52条)に定められている、いわゆる用途地域ごとの容積率メニューとしては、1000%を越えるものがあってもよい。これは東京の都心部の指定容積率を引き上げるかどうかの話とは全く別のことである。どこか地方都市の駅前などで道路基盤も十分な限られた地区について、容積率1500%を指定する、といったことがあってもよいからである。その都市で指定してよい最大の容積率を、都市の人口規模にしたがって、国が指導しているとのことであるが、そもそも国がそのようなことを指導するのもおかしな話であるし、都市計画の理論としても全国一律同様なパターンの容積率指定パターンを採用する理由はない。そもそも、建築基準法(52条)の容積率のメニューは範囲が狭く、きざみもあらい。たとえば、住宅地について、建蔽率60%総2階に対応した120%とか、3階建てに対応した180%、沿道商店街等に対応した240%などのメニューもあってしかるべきである。そもそも、こうした容積率の設定数値や道路斜線の傾きなどは、建築基準法には上限下限のみを定め、具体の数値は各都市の実状と都市像に応じ、地方公共団体が条例で定める仕組みに改正すべきものである。

 

2.3.3 東京の国際競争力について

 東京は、アジア地域の拠点都市としての魅力が薄れつつあり、このままでは、香港、シンガポール、上海、北京、ソウル、に負ける、という論がある。たとえば東京の「新しい都市づくりビジョン」も「国際競争力あるビジネスセンター機能の強化」を謳っているところである。

 国際ビジネス誘致に必要なことは単にオフィスビル開発を促進し、機能的・効率的で格調高く賃料が比較的安いオフィスを建てることだけではなく、さらにはオフィスとホテル、住宅、商業、コンベンション機能などの複合開発を促進しすることだけではなく(これらは現行制度の下で十分進展している)、東京で生活し働く際の生活面・文化面での魅力を高めることである。東京の魅力とは(特に来日した外国人の多くの意見では)、公共交通網の効率性と、市街地や文化(食文化を含む)の多様性である。したがって、東京の国際競争力を高めるためには、単にビジネスのための空間を開発するだけでなく、多様性の魅力を活かすこと、生活の質を高めること、公共交通網のアドバンテージを活かすこと、社会的安定性安全性を維持することが重要である。

 東京の文化面・生活面での魅力を維持し、高めるためには、江戸から昭和・平成に至る歴史と多様な文化の蓄積を活かし、機能的にも景観的にも多様・多彩な性格を有する地区や界隈を維持・育成することが大切である。どこもかしこもすべてを面開発型複合用途再開発事業で近代化したのでは、東京はモノカルチャーの支配する、単調な都市になってしまい、魅力を失う。しかも瞬間的には近代的で効率的であっても、モノカルチャー状態になっては、長期的な状況の変化に適応できない危険も生ずる。近代的な市街地に更新すべき地区は、もちろん更新を進めるべきだが、それ一辺倒では危うい。エコロジーでいう生物多様性という概念を比喩的に用いれば、まさに東京の魅力と強みは、多様性にある。したがって東京の国際競争力を高めるためにこそ、多様な機能・景観・魅力をそなえた地区を維持・育成すべきなのである。魅力ある界隈性を維持強化するためにオフィスやマンション等の開発を抑制すべき地区も、相当の広がりをもって存在していると思われる。

 

2.4 都市計画・建築規制の硬直性について

 一方、日本の都市計画・建築行政の実態はと見れば、本来のあるべき姿とは程遠いのも確かである。民間事業者から改善を求められるのも、ある面で当然のことといえる。

 日本の都市計画は、明治時代の市区改正の議論の頃から、伝統的に都市像や市街地像を明確にすることが不得手であった。1919年の都市計画法・市街地建築物法の制定の際も、伝統的低層木造の市街地を郊外に広げていくべきか、中高層の市街地を築くことを優先すべきか結論に至らず、平屋や2階建ての木造市街地の中に、徐々に中高層の建物が建っていき、一方で郊外には木造の低層市街地が、木造市街地にふさわしい密度で広がっていくことを促進する、曖昧な成り行き任せの様子見態勢が続いている。育ち盛りの子供はどんどん大きくなるので、とりあえずぶかぶかの着物を着せておけばよい、といった発展途上国的、都市急成長期型の態勢である。

 たとえば東京都は1960年代以降、環6内(近年は環7内)を中高層不燃化する、という抽象的方針を一貫して持ち続けているが、どのような中高層市街地にするのか、特に江戸時代からの敷地割りを継承して敷地規模も小さく、街路の幅員やパターンもこれに応じた、その意味で歴史的市街地について、どのような中高層化が可能で望ましいのか、具体的姿を描けぬまま今日に至っている。

 細分化されている敷地を共同化したり、買収によって統合して大規模化し、魅力のない共同ビルや、公営住宅団地のような箱形のビルを描いて中高層不燃化の街の姿とする知恵のなさは、80年代からは超高層タワーなども取り混ぜた工夫があるにせよ、美濃部都政時代の「広場と青空の東京構想」から近年の「街区再編プログラム」まで一貫しており、我が身を含め、日本の都市計画の専門家や建築家のふがいなさを実感せざるをえない。やはり、地域地域の固有の夢やアイディアを掘り起こし、ぶつけあい、オリジナルな魅力あふれる街のイメージを、ひとつひとつ形象化していく手間ひまを省いては、いかなる魅力的な市街地像も確定できないように、あらためて思う。

 ともあれ、地域地域の将来市街地像を明確化できないため、規制の枠組みは本来のあり方とは離れ、達成したい市街地像とは密接な関係をもたない、ゆるやかで汎用的・標準的・無個性的なものが、歴史的な経緯の中のある時点で決定され、その後は、このゆるやかな規制の枠組みのまま、実態の変化の様子を見るという、様子見の態勢が長く続いているのが日本の都市計画の実態である。つまり、現行の建築形態規制はきわめて緩く、かつ明確な目標市街地像を欠いている。この制限をまもることは都市の機能・環境を破綻させないための最後の一線として重要であるにせよ、各地域の市街地像の実現については十分な役割を果たしていない。無いよりはましだが、あってもさほど役に立っていないのが実態である(したがって建築法規に合致した開発であっても、近隣紛争は起き、裁判で不当とされる事例も生ずる)。

 このように、主として用途上の配置と土地利用密度(つまり端的には容積率)の観点から指定される用途地域の指定と機械的に連動して、建築基準法にそう書いてあるから適用されるとしかいいようのない、(空間的な市街地像を欠いた、また地域住民の合意の裏付けの曖昧な)自存的な規制が街を覆い尽くすことになる。

 建築規制自体は、もちろん必要であるが、硬直的な都市計画・建築規制体制は改められるべきである。だからといって、地域の将来像に関する議論や合意形成を欠いたまま、個別敷地やプロジェクトごとに開発の自由度を高めれば良いというものでもない。それでは、結局、自由放任カオス型の将来都市像を選択したことと同じになってしまうからである。積極的自覚的に自由放任カオス型の将来都市像を選択するという結論に至ったのであれば、それでも良いが、とにかく、地域ごとに将来像を議論し、明確な合意に至る、計画策定における参加と協議のプロセスのデザインが、第一に必要なことである。

 こうした回路の一つとして、民間事業者発意型のプロセスがあってしかるべきであるが、単に民間事業者の発意の入り口だけが用意され、その後の計画決定に至る過程が従来の官治型のブラックボックスのままで、地域の将来像の議論に関する広汎な市民参加のプロセスが制度化されなければ、「民間事業者と行政の癒着」といった不信をあおり、開発は円滑化するどころか、地域紛争の中で漂流することになろう。

 また、なにより建築形態規制は、用途地域と連動した全国一律のメニュー方式を改め、地域地区自体を都市計画区域ごとに、あるいは市町村ごとに、独自の規制内容のものを条例で定め、市町村の都市計画マスタープランなどにおいて明示された各地域の市街地像に即した、過不足のない規制枠組みを設定できるようにすることが、実は、建築自由度の向上についての要求や、合理的な建築規制に対する要求に応える本来の方向であろう。その意味で、都市再生は、都市計画の地方分権の徹底の延長線上に実現するものといえよう。

 

3. 政府の「都市再生」政策の評価

 「民間企業による開発の支援」を中心とした「都市再生」政策の評価であるが、そもそも道路公園など公共施設を除き、都市の空間の大半は民間企業や個人によって開発されるものである。つまり、都市計画や都市再生施策とは、常に、民間企業や個人による開発の支援・誘導が狙いであって、民間企業や個人による開発を適切に支援・誘導するために公共施設等の整備や、土地区画整理事業・市街地再開発事業等の面的整備を行うという論理構造になっているはずのものである。したがって、どのような民間開発について、これをどのように「支援」するのかが問題である。

 現下の「都市再生」政策の基本方向は、大手デベロッパーなどの「民間企業」が、大規模な空閑地や、自らの持つ種地をもとに周囲の土地を(買収するなり、共同事業を組むなりして)巻き込みながらまとめ、収益性の高い、高密度な開発を実現することを、促進することにある。

 その背景には、以下のような民間事業者側の不満がある。すなわち、従来の都市計画等の制度枠組みの下では、土地をまとめようとする際に地元の零細な地権者の合意がなかなか得られず、ようやく地元の合意がまとまっても、従来の零細な敷地規模・狭隘な道路状況などに適合した容積率規制などの建築規制が残り、まとまった新しい開発にふさわしい(かつ高収益をもたらす)高密度開発を許容する規制に変更する手続きは公式には制度化されていない。したがって用途地域・指定容積率は従来のままで、特例的な緩和を受ける特定街区や再開発地区計画などの都市計画決定を受けるか、総合設計の許可を受けることが一般的である。ところが、こうした特例的裁量的扱いについて、機械的に判断の下せる詳細なマニュアルがあるか、行政内の各セクション・周辺住民・事業者などとの協議調整の手続きが明確化されていない場合、役所の担当者は自己の責任において判断することが難しい。いつ終わるとも知れぬ暗中模索の協議過程が続くことになる。

 また、この種の開発は、周辺の市街地状況とは異質の巨大な建築物等で構成されることが多く、その基本計画段階で周辺住民を交えた協議の過程が制度化されていないこともあって、周辺住民の強い反対を呼び起こすことが多い。都市計画法・建築基準法の制限に納まっていても、民法上は不当な開発と判決される可能性もあり、また周囲の反対が強ければ開発完了後の販売・入居にも支障が出かねず、また企業のブランドにも傷がつきかねないため、いったん反対側が硬直化すると、なかなか開発に着手できないことになる。総合設計制度は、従来、かなりマニュアル的に基準化された緩和制度であったが、「都心居住」促進政策の目玉的手法となったため、近年、容積率の緩和量(容積割増の割合)が激増しており、許可を行う役所としては、周辺住民の常識的な反発を想定すると緩和の上限とされている基準を単純に適用することにはためらいが生じ、したがって地元の説明会などの段階で強い反対が発生すると、設計変更などを経て、ある程度の合意が形成されるまでは許可を保留することになる。

 このように、民間事業者から見れば、地元の少数の反対者のために土地が(共同事業)がまとまらない。行政が都市計画を機動的に変更してくれない。特例緩和制度があるといいながら実際の協議過程は暗中模索となり、いつになったら出口が見えてくるのか検討もつかない。法規や基準に適合しているはずなのに、周辺住民が反対をする、反対があると行政はむしろ反対住民の肩を持つ。企画を始めてから開発が完了するまで、きわめて長い時間コストがかかり、計画・設計変更のコストも大きく、しかも長期間を経て、計画変更も行った後では、採算性を確保できるかどうかも不明である。これでは、とてもリスクが大きく、まとまった土地の再開発などには手が出せない、ということになる。

 現状の制度枠組みの下では、確かに、まとまった大規模再開発事業は、時間がかかり、着地点が不透明であり、周辺住民の反対は硬直化し長期化し、したがって事業者にとってリスクの大きいものとなっている。この点は、制度的に改善されるべきであるが、問題は、その改善の方向である。

 現下の「都市再生」施策の方向は次のようなものである。土地や共同事業をまとめるにあたって全員同意ではなく2/3程度の合意で、事業に踏み込めるようにする。こうした事業については民間事業者に土地買収など強制力をもった事業権能を付与する(つまり事業地区内の少数の反対意見は押しつぶす。より多くの地権者・住民が納得のいく事業とし、事業の質を高める努力の放棄)。ごく少数の反対者のためにプロジェクトが動かないという全員合意主義は改善する必要があろうが、少数派の意見も尊重され、議論を尽くす仕組み、より高次の解に達する仕組み、適正な補償を行う仕組みを確保することは、きわめて重要であって、制度のディテールを設計する際、慎重を期する必要があろう。

 民間事業者による事業計画の提案に基づき、地方公共団体が都市計画の変更手続きを(期限付きで)実施していく制度(「思い切った都市計画変更」)は、提案者が大手デベロッパーなど民間事業者に限定されず、地域住民による「まちづくり協議会」や、地元個人有志の提案であっても受けとめられ、都市計画変更手続きは公開の場において、当該地域住民のみならず広汎な市民の参加による議論を通じて検討され、議論の内容によっては追加データの収集や分析等のために検討期間を延長できるような仕組みであれば、大いに望ましいものと評価できるが、政府の文書の文脈からは、参加を徹底しようといったニュアンスは読みとれない。むしろ地元市町村がいろいろいいたいところを抑えつけて、都なり道府県なりが一気呵成に変更してしまえ、というニュアンスのように読める(官治的トップダウン型計画策定への逆コース)。

 また、民間事業者に対する事前確定性の確保、として、総合設計制度の対象の一部について許可制から事前確定性のある建築確認によるものとし、容積率等の迅速な緩和の実現を掲げている。周辺住民の反対を封じ込め、地元市町村の付帯的要求や指導を封じ込め、不確定要素をなくし、いわゆる「as-of-right」的な緩和を保障しようということである。つまり一定の公開空地を用意した建築については容積率を割増すことを一般規制化しようということである。ニューヨーク市のように公開空地設置による容積率割増は100%を限度とする、といった控えめな割増ならばともかく、特段周囲の市街地環境にとってメリットのない公開空地を名目的に付置すれば、指定容積率の倍に達する容積率割増を受けたマンション(現行制度では、都心居住促進ということで、住宅ならば指定容積率の倍に達する容積率が許可される)が建築確認のみで建つ、というのでは、そもそも都市計画による建築形態規制を根底から覆し、無力化することになる。都市計画の立場からは、到底容認しかねる話であり、そのような事態になれば、大幅な割増を受けた建物が随所に建つことを前提に、指定容積率等の一般規制を大幅に強化(ダウンゾーニング)する必要にせまられるであろう。

 また、通常のマンション紛争を見れば分かるように、許可制による特定緩和であろうが、通常の建築確認の範囲であろうが、実際に建つ建築が、周囲の市街地の実状に照らして常軌を逸したものであれば、周辺住民の反対は起きるのであり、反対の理由がもっともであり、広汎な市民の共感を呼べば、市町村によって、たとえば地区計画による制限が急遽課せられる、ということも起きるだろう(たとえば東京都国立市の大学通り沿いの高層マンション紛争の事例)。つまり現行の総合設計制度のように容積割増が過大といえるほど大きなまま、これを一般規制化することは、ますます事態を混乱させることになる。

 総合設計制度については、ほぼ設計が固まった(後戻りしにくい)段階で、地元住民への説明会などが行われ、しかも一般に地元住民の反対が予想されることから譲歩のための「削りしろ」をのせた過大な設計案が提示されることが多く、したがって事業者と地元住民の関係は当初から敵対的になりやすい。総合設計による開発は、そもそも、通常の開発に比べ、公開空地の整備や、さまざまな機能上・デザイン上の配慮によって、周辺住民にとっても利益を提供するものであり、この利益が容積率や高さの増大による迷惑を補って余りあるものであるからこそ、容積率や高さの緩和が許可される性質のものである。つまり、周辺住民や広汎な市民にとって真にメリットとなる諸要素を提示できれば、むしろ周辺住民の積極的指示を取り付けることができるはずのものである。したがって、総合設計制度による開発を円滑に進めるためには、割増基準等を機械的に適用する方向ではなく、初期の企画の段階で、積極的に地元住民等との協議を開始し、協調的な関係の中で、真にメリットのある整備要素を見いだした上で、事業者・地元住民双方納得のいく(win-winの)建築計画を策定する、協議型の仕組みに組み替えることが、開発を円滑化するだけでなく、望ましい市街地を形成するためにも、適切な制度改正の方向である。

 また、総合設計開発が順次集積して行きそうな地区では、個別案件毎の協議だけでは、相互の関係の調整や、集積後の市街地を適切に形成することが困難なことも予想される。こうした地区については、早期の段階で、市区町村が地元住民の参加を求め合意を形成しつつ、およそどのような総合設計開発を誘導しようとするのかについての、「総合設計誘導地区ガイドプラン」のようなものを策定しておくべきであろう。このようなガイドプランこそが、真に、民間事業者に対する「事前確定性」を確保し、円滑かつ良質な開発を保障する道具となるはずである。

 そもそも政府の都市再生施策の文書では、民間事業者サイドの発想に引きずられているのか、行政が民間事業者を一方的に規制したり、市町村が無理な要求をつきつけている、といった、規制する行政・対・規制される民間事業者、という2項関係で事態を捉えているように見える。これでは事態の本質を見誤る。

 開発事業者と対立しがちなのは、従来の生活や環境を維持したい地元地権者や、近隣住民、あるいは自身の生活する都市のあり方について各自多様な期待を抱いている市民(納税者)である。開発事業者の勝手横暴と見える場合には住民・市民がまず反発するのであって、行政は、その間にあって、これを調整する立場にある。あらかじめ、都市像を明確にし、計画を明示し、適切な建築規制を定めておくのは事前の調整であり、開発案が提起された後、市民参加や協議の過程を適切に進行し、紛争を回避しつつ合意に至るのは臨機の調整である。いずれにせよ、事態は事業者・市民・行政の3項関係でとらえられるべきものである。行政としては、実際の開発の段階で事業者と市民の間に大きな紛争が予想される場合、相当の時間をかけて地元の合意を形成しない限り、特例的な規制緩和には踏み切れない。事業者として行政に市民を黙らせてくれるよう泣きつくのでは情けない。民間事業者というからには、リスクを負いながら地元住民・市民と協議し、開発のメリットを示し合意を取り付け、市民を味方につけた上で、硬直した規制を変えるに変えられないで立ち往生している行政を動かし、大きな緩和を勝ち取って欲しいものである。

 

4. なにが都市再生を妨げているのか

 特別な場所を除いては、地域地域で各々の街の将来像を明確にし合意を形成することが出来ていないため、現行の曖昧で緩い都市計画や建築規制を地域の将来像にフィットした内容に変更することができない。事業者が現行規制いっぱいの「高度利用」を行おうとすると(特に総合設計などの特例的緩和制度を用いようとすると)、それは地域住民(の多くや、一部)が漠然と想定している将来像にフィットしないため、必然的に紛争が生じ、事業者にとってのリスクは増大する。(都市計画マスタープランが策定されている市区町村でも、たとえば「中高層主体の複合的市街地にする」といった抽象的な方向性が記述されているだけで、地域の具体の空間像は曖昧模糊としており、まして地域の地権者・住民の合意も形成されたとはいいがたい)。

 したがって事業者としては「基準を事前に明示する」ことを望むことになるわけだが、地域の将来像についての明確な合意が形成されていなければ、都市計画としては、従来の官治的枠組みの下で「標準的な規制枠組み」として定めた現行の用途地域と、これに連動した建築規制を変えることは難しく、したがって「基準を事前に明示する」という場合の「基準」とは現行の用途地域に応じた建築規制ということになる。いうまでもなく、これが事前に明示された基準である。こうした「標準型」の開発ではなく、より地域にふさわしい良質な開発を受けとめるために特定緩和型制度が用意されているわけであるが、これらの制度は本来、こうした特別な開発が提起された段階で、そのことをきっかけとして、地域住民の意見も採り入れながら地域の将来像を検討し、その将来像にフィットした開発形態を見出し、これを特に許可しようという仕組みである。つまり、こうした制度は、事前に明示された基準とは異なる形態の開発提案を受けとめるための制度であって、これについても「基準を事前に明示する」ということは、そもそも標準型の用途地域による一般規制と、特に綿密な計画・設計を行った場合の特例緩和型制度との役割分担の構図を抜本的に改変することを意味する。

 標準型の用途地域による一般規制ではなく、地域地域の性格に応じた、より望ましい開発について「基準を事前に明示する」ためには、開発の企画が生ずる前に、地域の将来像や、その実現の方針について、明確な合意を形成しておくことが必要となる。住民・地権者がそれぞれバラバラな多様な将来像を漠然と想い描いている地域について、行政が、現行の緩く曖昧な標準型の用途地域とは異なる、明確で具体的な地域の将来空間像を、地域における合意形成のプロセス(必ずしも全員同意である必要はないし、地域内のみならず地域周辺や広汎な市民の要求・意見も参照する必要がある)を経ないまま、官治的に一方的に定めることは、現代の都市社会においては不可能であるし、望ましいことでもない。

 つまり、まず、地域の将来像を広汎な参加過程を経て明確にしつつ合意を形成することが、市民・住民(あるいは行政からすればクライアントである納税者といってもよく、あるいは民間事業者からすれば顧客といってもよい)の真の要求に応じた、「顧客満足度」の高い、良質な市街地を形成するために、また事業を円滑に進めるために、つまり都市を「再生」するために、第一に取り組むべき必要事項なのである。

 しかしながら、こうした地域の将来像を、広く、早期の段階で(事業者が開発の企画を持ち込む以前の段階で)協議・検討する公的な場が、日本の都市計画の枠組みにおいては全く欠落している。唯一、それに近い場は、都市計画マスタープランを策定する「住民参加」の場であるが、現状では、予算・期間・人材の制約から、都市全体の構想・方針と、地区別の抽象的方針を定めるのが精一杯であり、地域地域の具体的空間像について、これを協議し合意を形成する場とすることは到底困難である。地域のまちづくり協議会等に対し、まちづくりコンサルタント等を派遣する制度が、まちづくり条例などによって一部自治体では採用されているが、コンサルタントにとっては、きわめて低い報酬しか保障されず、これでは、ちょっとしたアドバイスを行うのが精一杯であろう。責任を持って、地域の将来像を提案したり、協議と合意形成のためのワークショップ等を運営したり、さまざまな不安と不満を抱く個々の地権者・住民の相談にのることは、到底不可能である。右肩上がりの時代には、将来の事業の発注を期待して、ゼネコンやデベロッパー等、民間事業者が、営業の一環として、先行投資として、協議会等をバックアップし、現地事務所まで設けて企画運営にあたる、ということも一般的であったが、今日、こうした民間事業者の力に委ねる方式は、比較的リスクの低い、また、大きな開発利益の見込める地域でなければ、期待することはできない。

 地域ごとの将来像やまちづくりのルールを地域住民の合意を踏まえつつ策定していくためには、従来の低報酬の専門家派遣制度ではなく、早期の段階で協議・検討を行う組織を立ち上げ、必要な調査調整費を公共が手当てすることが重要かつ効果的である。たとえば、地区まちづくり協議会等の地元組織が結成された地区については、地区から納付される都市計画税の一定割合(たとえば10%)を一定期間に限り(たとえば3〜5年間)調査費として協議会に補助する、といった仕組みである。地区の規模にもよるが、この程度の予算があれば、有能なプランナーが一人、地区にはりつくことができると思われる。

 東京を国際競争力ある魅力あるビジネスセンターとして再生したり、職住近接を進める都心居住を進めたり、衰退する地方都市中心市街地の活性化や居住人口呼び戻し、といった「都心のリノベーション」の課題を解き、あるいはより広汎な視野において、自動車依存の拡散的市街化をコントロールし、都市空間の拡散融解現象を逆転させ、環境的・社会経済的に持続可能かつ生活の質を高める「都市の再生」を進めるためには、どのような都市空間が望ましいかという空間論・都市形態論を観念的に構想・議論する前に、また、そうした空間の実現を円滑に進めるための制度論を議論する前に、まず、どのような都市・地域とすることが望ましいのか、どのような暮らしを選び取りたいか、について、地域地域の、あるいは都市全体の、市民・住民が議論し構想する、場とプロセスをデザインし構築する必要がある。こうした構想と合意形成の仕組みが構築できれば、自ずと多様で魅力ある都市の将来像は明確となり、そうなれば制度を改変したり、都市計画の内容を変更することなどは容易に実現し、開発と保全は円滑に進み、その帰結として都市は再生されるはずである。こうしたプロセスを経ないままでは、つまみ食い的・焼き畑使い捨て的な都市開発はありえても、都市のトータルな再生はありえないと思われる。