以下の文章は <大方潤一郎「市民合意なき都市再開発を推進する都市再生本部の誤り」『エコノミスト』(2002:4:23),pp.46-49> のために書いた第1次稿である。字数が大幅に超過していたため分量を半分に削り、編集部によって見出しがつけられ最終稿に至ったものである。筆者のいわんとするところを御理解いただくためには第1次稿の方が良いと思われるので、あえてここに公開したものである。(2002年4月15日)


計画なき都市再開発

<大方潤一郎「市民合意なき都市再開発を推進する都市再生本部の誤り」『エコノミスト』(2002:4:23),pp.46-49> 第1次草稿

東京大学工学部都市工学科 教授 大方潤一郎 2002.3.31

 

1.市民のニーズを反映しにくい日本の都市計画

 都市計画とは、明確な意志を持って、街や都市をつくろうとすることである。たとえば、このあたりは緑豊かなゆったりとした庭付き戸建の住宅地にしよう、だから高層マンションは建てないようにしよう。あるいは、ここは便利な場所なので、中高層マンションの集まった街にしよう、その分、道路は広くゆったりとした並木道にして、公園も各所に配置しよう。といった市民共同の意志を固め、それを実現するルールを定め、道路や公園づくりの公共事業を進め、民間事業者や個々の市民はルールに従いつつ、なお各々の創意と個性を発揮しながら個別の建物などを建てていく。都市計画とは、単純にいえば、こうした、市民共同の意志を固めるための作業手続き(計画策定手続き)と、これを実現するためのルール(事業手続きと土地利用・建築規制)の体系である。ポイントは、市民共同の意志が都市空間の形として計画に現れているか、計画に示された空間の形が現実のものとなるよう公共事業の実施体制や建築規制などが計画に結びついているか、である。

 残念ながら日本の都市計画制度は、この市民の意志の反映という点でも、計画と事業・規制の結びつきという点でも、他の先進国に比べるときわめて弱体である。

 規制についてみれば、建築物の用途や形態について、限られた組み合わせの「定食メニュー」が法律で定められており(つまり用途地域と容積率・建蔽率の組み合わせ)、これをどう指定するかという話に矮小化されている。また、用意されたメニューは最も厳しい戸建住宅地向けの「低層住居専用地域」を除けば、規制内容が緩やかなので、それを指定するとどのような街になるのか誰にも判断のつかないような性質のものである。しかも、どういう場所にどの「定食」を指定するかについては都道府県が定めたマニュアルがあり、これにしたがって、かなり機械的自動的に指定が行われているのが実状である。そのため、市区町村が広く市民参加を行い都市計画のマスタープランを策定しても、これを実際の規制に結びつけることが難しい。実際の規制に結びつけにくいことが分かっているのでマスタープランでは個々の街の具体的な姿について「低層住宅を主体とした街」といった抽象的なあいまいな表現にとどまることが多い。結局、マスタープランはマスタープランの理屈で定まり、実際に規制力を発揮する都市計画は、また別の理屈で決定される、というのがこれまでのところの実態である。そうであれば、マスタープランについて綿密に議論したところで、どうせ現実に反映されないという無力感が先立ち、市民の関心も低く、予算と労力をかけて広汎な市民参加を行ってみても意味がないということになり、市民の意志や要望と、都市計画とは、ますます離れたものになってしまう。

2.日本の都市計画の伝統

 もともと日本の都市計画とは、都市成長を通じた都市の近代化を導くことを主眼においた制度である。欧米の都市計画制度は、新しい街を開発する際に、あらかじめ明確に「街の形」を定めた上でこれを造り、こうしていったんできた街の形はむやみに変えない、一度できあがった街の形を変える場合には新しい街を造る時と同じように考え、あらためて新しい「街の形」を定め直す、という考え方にのっとっている。

 一方、日本の都市計画は、江戸時代に形成された2階建て程度の木造の市街地が、じわじわと中高層の燃えにくい街に変わっていく過程を緩やかに導きながら、街が大火で丸焼けになった時には、ここぞとばかり一気に復興区画整理事業を行い、道路だけはなんとか最低水準のものにしよう、という考え方にのっとっている*1。

 欧米では、街の姿を変えないため、街の現状にピタッと合った規制をかぶせることが一般的であるのに対し、日本では街の姿が変わって行くことを期待して、変化を妨げない緩い規制をかけておくのが伝統である。育ち盛りの子供にはサイズの合った服を買うのではなく、かなり大きめのサイズを選ぶようなものである。しかも、都市が成長してどのような街に変わっていくべきかについて、明確なイメージが定まっていないので、規制は現状に比べて単に緩いというだけでなく、その規制の枠の中で、どのような街の形ができあがってくるかということについても漠然とした自由度の高いものになっている。将来の街の姿をピンポイント的に狙い定めたものではないのである。

 このように、従来は、都市計画による規制といっても、街の現状に比べれば、きわめて緩やかで「遊び」の大きいものだった。だからこそ、役人が画一的マニュアルにしたがって定めることもできたわけである。

 一方、郊外に新しい街を造ろうとする場合には、あらかじめ土地区画整理事業を行ったり、まとまった開発によって、住宅地として最低限の道路や公園の整備水準を確保しようとしているが、日本の開発規制制度は緩やかなので、住宅数軒だけを開発する「ミニ開発」や1棟だけの開発が偶々存在する農道などに沿って行われることを許している。農地や宅地が入り交じり、つながりの悪い狭い道路しかなく、公園なども乏しい、住環境としてはきわめて貧しい「スプロール市街地」が広がって行くことを止められない。国道や県道などの幹線道路は都市計画事業として国の補助金を受けて整備されるが、生活に密着した道路については都市計画道路としては定めず、土地区画整理事業や、まとまった開発に対する開発許可制度を通じて開発事業者が整備することが一般的なので、子連れや老人でも安心して快適に歩ける歩道のついた生活道路などは大手デベロッパーなどによるまとまった開発地でなければ滅多に見かけることがない。

 しかも新しい街を造る場合には、一般に比較的ゆったりとした一戸建ての住宅が建つことを漠然と想定しているので、道路や公園の整備水準もそれに見合った低い水準のものになっている。こうした新しく開発された場所について、想定する住宅に見合う最も厳しい用途地域「低層住居専用地域」が指定されていればともかく(それでも3階建てのワンルームマンション等が建つことを止められないが)、かつての農村集落を含むような地域では既にミニ開発、アパート等も散在していることから既に緩い用途地域(中高層住居専用地域や住居地域)が指定されていることも多い。これを厳しい用途地域に変更することも困難である。結果、最初は比較的ゆったりとした戸建住宅が多く庭木の緑も豊かな地域も、だんだん居住者が増え、便利になってくるにつれ、敷地の狭いミニ開発や、アパート、中高層マンションなどが建つようになり、そうなると樹木の育つ庭を取る余地がなくなり、一方で農地は減り、駐車場ばかりが目立つ風景に変わっていく。道路も公園も足らないということになる。つまり、新しい街を造る場合でも、豊かな住環境や街並みを創り出す仕組みも、これを護り育む仕組みも、日本ではきわめて弱体なのである。

 

3.日本の住環境・街並みと都市計画

 1960年代半ばまで、日本の都市空間は、高さ100尺のビル街、木造2階建ての商店や戸建住宅、長屋、アパートなどで構成されていた。1960年代半ばから急速な郊外住宅地開発とスプロール現象が進行し、1970年代にはマンション開発の波が街なかだけでなく郊外にも急速に広がっていく。この頃から日本の街の風景と住環境は大きく変容し始める。多くの地域で続々と、ミニ戸建住宅*2やアパート、中高層マンションが建つようになり、比較的ゆったりとした住宅地の住環境は崩れ始める。各地でマンション紛争・日照紛争が頻発したため、これを受けて、日影規制が導入され、また、これとは別に一部の地域では建物の北側の斜線制限を強化する高度地区が導入されたが、これらはあくまで建物の落とす日影を多少制限するだけの規制であって、それぞれの街の将来の形を定めるようなものではなかったから、極端な日影さえ落とさなければ、あいかわらず中高層のマンションを建てることができた。マンション開発がいけないというのではない。大都市に暮らす市民が、比較的通勤の便の良いところに、適切なコストで、まあまあの広さと環境の住宅に住めるようにするには、こうした高密度の集合住宅の開発は必要である。問題は、中高層のマンションが寄り集まって豊かな住環境と街並みを形成できるような場所は、郊外の計画的ニュータウン開発の中か、敷地・街区・道路の広い埋め立て地の工場・倉庫街跡地のような場所に限られているにもかかわらず、2階建ての住宅が寄り集まってそれなりに安定した住環境を維持していた地域に、たまたま土地が出たからといって個別偶発的に入ってくることにある。

 日本の街の敷地の形状は一般に不整型なことが多く、しかも日本では敷地の統合も分割も自由である。こうした不整型な敷地の上に、日影規制や斜線制限だけは守りながら容積率規制一杯の大きなマンションを建てようとするため、建物の形は鳥かごとも、雛壇とも、なんとも形容しがたい妙な形になってしまう*3。それぞれのマンションは、それぞれの敷地の都合だけで形が決まるので、こうしたマンションと従来の2階建ての戸建住宅やアパート、新しいミニ戸建住宅が寄り集まった街は、街並みや景観という面では、大混乱という他ない状況となる。容積率や建蔽率、斜線制限や日影規制、用途規制、といった個々の規制が個々の敷地の形と道路付けに応じてかかっているだけで、それが寄り集まって街を構成した時にどのような形になるかについては、そもそも敷地の分割・統合の自由な日本では予想すらできず、責任を持って管理する主体はどこにもないのである。

 こうした状況の中で、それぞれの街について、どのような街にしたいかを住民達が話し合いながら合意に至り、その街の姿にあった詳細な規制を定める仕組み、つまり地区計画制度が1980年に創設される。今の日本の都市計画制度の下では、地域の実状にあった、地域住民の要望に即した形の街を構想し、それにぴたっと合う規制をかけるには、この地区計画という特別な計画を通常の都市計画と並行して2本立てで定める必要がある。しかし役所の方から地区計画を決めましょうといってくることは滅多にないので、地区計画を決めたいという場合は、地元住民が組織を作り、ある程度の案をまとめ、役所に強く要求する必要がある。マンション反対運動や、幹線道路新設反対運動などで、まちづくりに対する地域住民の関心がよほど高まらないと、まちづくりや地区計画を考えようという住民組織を、日々の仕事や家事を抱えた住民自身が立ち上げることは難しい。そのため、地区計画が定められたのは、よほどまちづくりの機運が高まった地域か、行政側が特に改善や改造を進めたいと意図した駅前などの地域を除くと、大手デベロッパーなどによる郊外宅地開発にあわせ住民のいない段階で定めたものが多いのが実状である。

 今日、多くの市民が日本の住環境や街並み、景観の貧しさを実感しているところであるが、そのことの根本的原因は、それぞれの街の形について行政も市民も明確なイメージをもたないまま、なりゆきで街を造ってしまい、しかも、そこそこ良く出来ていた街についてもなりゆきで変化することを容認する都市計画・規制の制度になっていることにある。豊かな住環境や美しい街並みは人が明確なイメージと意志を持って創るものであって、決して自然に生ずるものではない。個々の建築や美術品ならば個人のイメージと意志によって創り出すことができるが、良質な住環境や街並みは個々人のイメージと意志がひとつの方向に集約されなければ創ることができない。しかし日本の都市計画の仕組みには、市民の意志をひとつにまとめる公式の場が欠けているのである。

 

4.バブルと都心居住政策・都心回帰現象

 1980年代の半ばからは、金融・情報・サービス業の活況により、各国の大都市では新オフィス拠点開発を中心とした都心の改造・拡張、ウォーターフロント再開発のブームが始まる。日本でも中曽根民活・都市改造といった流れが生じ、特に東京ではオフィス開発適地不足の見通しから、オフィス開発向けに土地をまとめようとする「地上げ」が活発になり、日本では都心周辺の住居地域でも規制が緩くオフィス開発が自由なことから、オフィス開発や地上げは都心周辺の住宅地へ広く展開し、またオフィス開発への期待から都心周辺でのマンション開発は停滞した。一方、従来、木賃アパート等が密集していた地域は、住宅の狭さ古さ、住環境の低さから人口を流出させ、商業地からは住み込みの店員のみならず商店主家族も郊外に住宅を構えて通勤するようになるなど、大都市圏の内部市街地は世帯の小規模化・単身化とあいまって人口を大幅に減少させた。さらにバブル期には全国的に無謀な不動産開発や土地投機に多量の資金が投入され、地価は全面的に高騰し、結果、都心周辺の住宅コストは跳ね上がり、普通の勤労者はもはや東京内部市街地には住めない、という危機感が高まった。こうして住環境や街並みなどはさておき、とにかく都心周辺でどんな住宅であろうとなんとか住宅供給を確保したい、という「都心居住促進」政策が80年代後半から今日に至る都市政策の大きな柱になっていく。

 バブル崩壊後は、地価も暴落しオフィス需要も冷えたことから、都心周辺の開発はマンション開発に向かうようになった。しかも90年代になって導入されたさまざまな「都心居住促進」のための住宅開発優遇措置(住宅開発に対する容積率割増制度など)がようやく効果を発揮し始め、さらに最近では都心居住促進というよりも、ともかく不良債権の担保となって「塩漬け」になっている土地を開発して処分したい、投資先がなく余っている資金を吸収したい、不動産開発企業やゼネコンの破綻をなんとか防ぎたい、そのためにはともかく確実に需要のあるマンション開発で稼げるようしよう、ということで住宅開発優遇措置は肥大化し、最近では多少まとまった土地があれば、周囲の街の実態とはかけ離れた巨大なマンションが法規上は開発できることになり、地域住民との紛争が激化しつつある。一方、遠距離通勤に苦しむわりには、さして広くも環境が良くもない郊外の住宅は不人気となり、便利で公共サービスの充実した東京内部市街地の住宅の人気は高まっている。結果として、今日、東京の都心・周辺は人口増加傾向となり、江東区などでは児童急増対策としてマンション開発の抑制と負担金徴収を検討しているほどである。また、バブル崩壊後の地価暴落でいったん事業計画を練り直していた各地の跡地再開発も動き出し、80年代から構想されていたもののバブル期には入札価格が高騰しすぎるということで凍結されていた東京汐留など国鉄精算事業団跡地の開発などもようやく動き始め、今日の東京は超高層のマンションや、オフィス、ホテルなどが日々林立する「都心回帰」の活況を見せている。

 

 

5.都市計画の硬直性と特例緩和制度の肥大化

 こうした80年代から今日に至る過程を通じて明らかになってきたのが日本の都市計画の硬直性である。住宅地に対する規制が緩いためオフィス開発が都心周辺の住宅地に拡がり、地上げが進んで、住宅地としての環境を維持したり、人口流出によるコミュニティの崩壊を防げない。一方、将来のオフィス供給不足感を払拭するようなオフィス適地の計画的・戦略的提示ができない。都心居住を促進しようとしても、やはり高密度高層マンション開発適地の計画的・戦略的提示ができない。既存の住宅地に高層マンションなどを建てる場合、事業者側から見れば容積率規制・日影規制・北側斜線などがきつい、周辺住民側から見れば規制の範囲内であっても迷惑は甚大であるから猛烈な反対が起きる。

 本来は、将来新たなオフィス街とするところ、新たな高密高層住宅地とするところ、従来の街の形態を維持しながら個別の建替を通じて徐々に街を改善していくところ、ゆったりとした戸建住宅地の環境を維持保全するところ、といった街の将来像を都市計画として明確に仕分けし、それに応じた適切な規制を適用することが必要だったのであるが(これは当時「土地利用計画の詳細化」と呼ばれた)、また、そのため1992年には市町村が都市計画マスタープランを策定することを義務づけたわけであるが、郊外のなにもないところで新都市を設計するのとはわけが違う。現存する街の実情と住民の意向を無視して街の将来像を描くわけにはいかない。

 ところが、それぞれの街の地権者や住民の想いは、ばらばらである。一個人の中でも、居住者としては現状を維持する強い規制を望みつつ、地権者としては、いざという時に高く土地が処分できそうな緩い規制を望むという両面性がある。行政としては、どの方向を打ち出しても賛否両論で地元の強い反対が予想され、街の将来像を一方的・強権的に決めるわけにはいかない。地元地権者や住民が街の将来像を理性的・友好的に議論し合意に至る場もない。結局、行政としては従来の都市計画を維持して様子を見る他なく、規制は緩めることも強めることも出来ず、立ちすくんだままである。(なお、1992年の「用途地域の細分化」にともない用途規制は多少強化されたが、これは従来の用途地域からマニュアルに従って機械的に移行したものである。また形態規制は変わっていない)。

 このように、通常の都市計画が動かない(誰にも動かせない)状況に陥っていることが明らかになってきたので、通常の都市計画は変えないまま、規制を一部緩和したり強化したりする特例緩和制度が80年代以降、続々と拡充され今日に至っている。

 公開の広場などを敷地内に設置すれば、それに見合った容積率の割増を受けられる特定街区制度や総合設計制度は古くからあったが、中曽根民活の頃には工場跡地や鉄道ヤード跡地など大きな跡地の再開発を進めるための再開発地区計画制度(開発の内容・優良性に応じ用途規制や容積率が緩和される)、バブルの地価高騰期には都心居住確保のための用途別容積型地区計画制度(住宅を開発する場合は容積の割増が認められる)などが創設される一方、総合設計制度は主に都心居住促進を名目に容積割増の対象と量を増やし続け、今日では都心周辺で住宅(つまりマンション)を開発する場合、都市計画で定められている容積率の2倍に達する巨大な開発が可能になっている。こうして、本来は市街地の環境を豊かにすることと引き替えに容積割増を与える制度だった総合設計制度は、単に住宅開発の容積率を(都市計画による設定値を無視して)増やすための制度に変質してしまった。

 このように様々な特例緩和制度が創設され、大きく街の形を変える場合には特例緩和制度を用い、通常の都市計画(つまり用途地域)は極力変えない、というのが80年代半ば以降の都市計画の暗黙の方針となった。こうした制度によって、たとえば東京の恵比寿ガーデンプレイスをはじめとする多くの「モダンでファッショナブルな再開発」が実現したが、多くの場合、街の改善が開発敷地の内部にとどまり、膨大な昔ながらの街の大海に、たまたま跡地等が発生したために生じた小さな再開発の島がなんの脈絡もないまま、点在している状況である。一方、これら特例緩和制度は、いずれも都市計画としての決定が必要であったり、特例的許可手続きが必要で、審査に時間がかかる、審査の途中で何度も設計変更を要求されコストがかかるだけでなく初期の事業計画が狂ってしまうということで、容積割増などの緩和は受けたいがリスクを嫌う事業者からすると不評である。しかも、最近では、緩和の限度を拡大しすぎたため、限度一杯に近い緩和を受けた開発を実現することは、地域の実態に照らすと常軌を逸している場合が多いにもかかわらず、過剰債務に苦しむデベロッパー等は無理を承知で限度一杯の開発案を提示するため、周辺住民の反対は激化し、自治体の対応は慎重になり、特例緩和制度にかかわる時間コストとリスクはいっそう拡大している。こうした状況に対して、開発業界の側は、特例緩和制度について、基準の事前明示、手続きの迅速化をいっそう強く求めるようになり、ついにこれを受けて、許可手続きによらず建築確認手続きのみで容積率や斜線制限の緩和を受けられる総合設計制度類似の制度を創設するような建築基準法改正案が現在国会に上程されているところである。*4

 

6.政府の「都市再生」施策について

 今回の都市再生特別措置法の目玉は、ひとことでいえば、ある地区の将来像について地権者の3分の2の合意を添えて提案すれば、行政はそれを受けとめ、半年間の期限を切って審議を行い、提案が適切であると認めた場合、その地区について、従前の用途地域その他の規制にかかわらず提案どおりの都市計画・規制を採用し、また、従来は公共団体と公団に限られていた市街地再開発事業の施行者に民間企業などもなれるようにする、というものである。つまり、民間デベロッパーが、ある地区について、自身の先行取得した土地を含め、地区の3分の2の地権者を巻き込み、容積率の大幅な緩和などを含む再開発事業の案を提案すれば、地区内の3分の1の地権者の反対や、周辺住民の多少の反対があっても、よほどの問題がない限り提案どおりの規制緩和が認められ、強制収容も可能な事業施行者として再開発を進めることができるという仕組みである。半年間の審議の内容がどのようなものになるのか現段階では未定であるので、いったいどのようなことになるのか予想しがたいが、現在の国・都の政治的流れが続くとすれば、よほどの大渋滞が予想されるといった場合を除き、デベロッパーの提案がまる飲みされ、少数地権者の現状継続の意向や、圧迫感や人混み、街並み・景観といった面からの周辺住民の反対は無視されることになりそうである。こうした反対を押しつぶし、硬直的で動きのにぶい役所を無理にでも動かし、そこそこ話のまとまった地区については好き勝手に再開発させてやろう、というのが都市再生本部の意向であろう。

 だが、これは、ものごとが動かない根本の原因を改めず、ただものごとが動けばよい、開発や投資が進めばよいという、対症療法的な無理押しをする処方である。再開発を含め、都市の再生が進むようにするためには、しかも質の高い空間として再生されるためには、少数地権者の反対や、周辺住民の反対を押しつぶすことではなく、地区内はもとより、周辺住民も含め、友好的・徹底的な協議過程を通じて(デベロッパーや建築家等専門家も随時優れたアイディアを出しながら)一見相反するように見える要望や利害について、より高次の次元で両立させ、初期の反対意見をむしろ積極的に取り込み活かすような空間的解決案を見出すことが決定的に重要である。そうした集団的熟慮の過程を経て、はじめて地域の歴史性や文化を反映した個性的で魅力的な街の姿が形象化されるのである。つまり、地権者の3分の2の合意を集めて提案した後の手続きではなく、3分の2の(できればより広汎な)合意に至るプロセスのデザインと公式化が重要なのである。そちらの制度的手当を手抜きして、積み残し・見切り発車を推奨するような今回の制度は、質は劣っても量だけは大きい、お手軽なファーストフードのような再開発事業を増やすことになるだろう。

 

7.再開発促進より市民合意形成のシステムを

 地区全体の土地を、あるデベロッパーなりが全部買い上げ更地にして、団地のような開発を行うのならば話は単純であるが、あのバブル期の地上げにともなう惨状を振り返ってみても、地区全体の土地を買い上げるというのはまず困難であろう。地区の地権者が組合を結成し、区画整理や再開発事業を行う、といっても現状の住環境と生活に満足し事業の必要性を感じない人、必要性は感じていても今すぐというのは当人のライフステージや建物老朽度のタイミングが合わないという人、地面に接した暮らしの安心感を重視し共同ビルに入る不安を抱く人、生活の激変自体を怖れる人、再開発ビルの魅力のなさ、区画整理された街のつまらなさに不満を抱く人。皆で一斉に動こうというのは、ごく小さな共同化であっても、なかなか難しく、また、そうした障碍を乗り越えて皆で一斉に動こうという程には、その後に実現する街の形と暮らしの魅力が乏しい。かつて盛んであった駅前再開発のように金を出さずに堅固で燃えない建物に入れて広場や道路がきちんとして街がにぎわう、というだけでは従来の生活を変えるに値しないと思う地権者が多い時代である。

 不在地主や法人地主が多く、事業採算性で話がまとまるような地区ならばともかく、その地区に住み続けたい、営業を続けたい、という地権者・住民の多い地区では、地区全体を一斉に動かすような事業は、きわめて難しい。したがって、全体を一斉に動かすのではなく、個々の建物の建て替えのタイミングにあわせて部分的に街を改善し、こうした努力の長期に渡る集積の結果として、じわじわと街全体が改善されながら新しい姿に変わっていく、「改善型まちづくり」(改善型再開発と呼ばれる場合もある)の仕組みを各々の地区の実状にあわせて組み立てることが重要なのである。こうした事業は利益を生みにくいので営利民間企業にはなかなか手が出せない。本来は自治体が手がけるべき仕事といえるが今の役所の都市計画・まちづくり担当部署には予算と人材がないので、なかなか手が出せない。住民達だけで事を始めるのは荷が重すぎる。NPOや都市整備公団などの出番だと思えるが、これも人件費負担なしでは動けない。たとえば地区から毎年徴収される都市計画税の何割かを(年限を限って)こうした活動に回す仕組みができれば事態は大幅に改善されるはずである。

 スクラップ・アンド・ビルド型の再開発ばかりに目を向け、これを何とか促進しようとして、容積率の割増など「規制緩和」による優遇措置を肥大化させても、それによって動く場所は限られている。またそうした場所は、特に優遇措置を拡大しなくとも、今日の低い地価水準に地権者のあきらめがつけば、いずれ近い内に自ずと事業が動く場所である。これを不良債権処分の一助、景気対策の一環として、時間のかかる広汎な合意形成プロセスを省き、優遇措置を拡げて事業採算性を高め、低下した地価の穴埋めをし、直ぐに動かそうと無理押しをしているのが今回の「都市再生」施策である。優遇措置を肥大化させると、周辺地域や都市全体に対するさまざまな影響・迷惑も肥大化し、これを憂慮する周辺住民や一般市民・自治体にとってますます受け入れ難いものになり、いくら建築基準法上は合法だといっても紛争は収まらず、かえって再開発が進まないという事態も予想される。

 より広汎な、市民の真のニーズに応えた、本来の都市の再生を進めるためには、民間企業のビジネスになるような全面再開発事業の促進だけでは限界がある。むしろ、それぞれの街で、市民が街の将来の形を議論し合意に至る仕組みのプロモーションを行い、こうした合意の建築規制等への的確な反映、合意した街の姿に到達する長期的プロセスの管理体制の構築、これらに対する予算・人材の投入が重要である。このような体制を基礎に、全体を(つまり都市や都市圏や国土、地球を)考えながら部分を(つまり建物や街区や地区を)造る仕組みとして、都市計画の(さらには農振計画や森林計画を含む国土の土地利用計画の)全体系を官治的硬直的構造から、市民の合意形成プロセスに基礎を置いた自治的・分権的構造に抜本改編することが、都市再生という課題だけでなく、国土全体において質の高い持続可能な生活圏域を形成するという課題に応える道である。


*1 日本の都市計画法は、明治時代の「東京市区改正条例」の制度的枠組み(都市施設の将来配置を決定、、将来の施設用地での堅固な建築の禁止)を基本に、これを1919(大正8)年に拡充して「都市計画法」とし(地域地区制と建築規制、建築線制度、土地区画整理事業、などの導入)、さらに1968年の大改正でこれを多少強化(線引きと開発許可制の導入、地域地区制の拡充、容積率制の全面導入など)したものである。その基本的な観念は大正時代のまま、戦後高度成長期の郊外乱開発対策を追加したものといってよい。

*2 マンションを建てるには小さすぎ、かといって、1戸建住宅敷地としては大きく今日の地価水準では高すぎて買い手がつかない1000〜200平米程度の敷地は、小さく分割され1戸あたり50〜100平米程度のミニ戸建住宅に変容する。

*3 一般に日本の街では、通りに面した表の敷地は商店などになっていて小さく、表通りに面していない街区の奥の敷地は寺社や、お屋敷や、銭湯など、大きな敷地であることが多い。こうした大きな敷地はマンションやオフィスビル開発適地であるが、日本の建築規制では、敷地がある程度広い通りに接していないと容積率が制限される。したがって、この大きな敷地が表通りに接していない場合は、表通りのお店1軒を無理にでも買い取って、奥の大きな敷地とつなげ敷地が表通りに接した形にしようとする。こうしてバブル期の地上げは激烈をきわめ、敷地の形はますます不整型になった。

*4 この建築基準法改正案の問題については、別途、インターネット上に反対声明文を公開しているので御参照いただきたい。<http://up.t.u-tokyo.ac.jp/doc/statement020326.html>

参考文献:石田頼房「日本近代都市計画の百年」自治体研究社1987、蓑原敬(編)「都市計画の挑戦」学芸出版社2000、小林重敬(編)「協議型まちづくり」学芸出版社1994、小林重敬(編)「地方分権時代のまちづくり条例」学芸出版社1999。